最近、AIの登場で、ツールを使う前提を(意図的かどうか分からんが)飛ばしてくる事例が増えてきた。何度も説明したくないので、ここに記載することとした。

ツールはあくまで能力の「拡張」である

もう見出しで全て語った通りなのだが、詳しく説明する。

インターネットが普及して、誰でも世界中の情報にアクセスできるようになった。では、その情報を誰もが十全に使えるか、と問われれば、ノーだろう。私含めて、Google検索の「検索呪文」を十全に使っている人間はごく少数であり、アクセスした情報が素人に必ずしも扱えるとは限らない。

つまり、Google検索により様々な情報にアクセスできるようになったが、それはあくまでネットのない時代に「図書館などで資料を探し出し調べた」コストを軽減したに過ぎない。

当たり前の話だが、資料を読む力がなければ、「正しく」検索はできず、「正しく」検索結果を読み解くことはできない。

残念なことに、「ツール」を手にすると、自分がそれができるようになった、と人間は錯覚しやすい。

例えば、CLIPSTUDIOやSAIなどの絵描きツールを手にしたら、理想の絵が描ける..….わけではない。そもそもの絵描きの技量があって、それを上手く形にするのが絵描きツールである。

要するに、「ツールはあくまで(個人の能力の)補助」ということを忘れてはならないのである。

対話型AIは答えてくれる?

このツールの前提を難しくしているのが、ChatGPTを始めとする、対話型AIの存在である。

質問をすれば答えてくれるから、「なんでもやってくれる」と錯覚しやすい。

だが、実際は従来のツールと何も変わりがない。

例えばChatGPTが絵を描いてくれるとしても、思い通りの絵を描いてもらうには、「絵の知識や表現」や「それを文字にして表現する能力」、「絵そのものを評価する能力」がないと完成は難しい。細部まで拘るなら、微調整するだけの「絵描き能力」がないと、十全なものとはなりえない。

繰り返しになるが、あくまでツールは使う本人の能力の「拡張」に過ぎない。あくまで「かけ算的な存在」であり、決して足し算的な存在ではない。